ローリー・マキロイと言えば、ゴルフファンの誰もが知る世界のトッププレーヤーだ。北アイルランド出身で現在31歳。すでにメジャー4勝を含む米ツアー通算18勝、欧州や世界でも8勝を挙げ、米ツアー年間王者や世界ランキング1位にも輝くなど目覚ましい実績を築き上げている。
そう言ってしまうと、順風満帆なエリート選手のように思われるかもしれない。確かに、ゴルフの戦績だけを見れば、マキロイは文句なしのエリート・プレーヤーである。
だが、私生活面を含めた彼のこれまでの人生は、案外、山あり谷ありの波乱万丈な日々だったように思う。
負けは必ず勝ちに変わる
北アイルランドのハリウッドという小さな田舎町で生まれ、父親ゲリーの手ほどきで2歳からゴルフを始めたマキロイは、驚くほどのスピードで腕を上げ、「瞬く間に40ヤードを飛ばした」という逸話を生んだ。
父親が試しに出場させた米フロリダのジュニア大会では、いきなり堂々の圧勝。
「ウチの息子は、とんでもない才能の持ち主らしい」
父親ゲリーは妻に電話をかけ、興奮しながら、そう伝えたそうだ。
その日から、マキロイの両親は息子のゴルフの費用を捻出するために、それまで以上に必死に働いた。父親ゲリーは地元ハリウッドGC内のバー&レストランの経営以外にも別の仕事を2つも掛け持ちし、母親ローズィーは夜間の仕事に精を出した。
そんな両親の愛情と努力のおかげで、マキロイは2007年には世界アマチュアランキング1位に輝き、全英オープンではローアマ獲得。その直後にプロ転向し、欧州ツアー参戦を開始した。
米ツアーに初めて出場したのは2009年のWGCアクセンチュア・マッチプレー選手権だった。その大会は、米ツアーに初挑戦を開始したばかりだった石川遼が補欠ながら試合会場へ赴いたため、試合会場には石川を追いかける日本メディアが詰め寄せていた。
大勢の日本メディアが見守る中、練習場で球を打ち続けていた石川の2つ前の打席で、ひっそりと練習に励む父と子。それが、私が初めて目にしたマキロイ父子だった。
その大会で、マキロイは初出場ながらベスト8進出を果たし、いきなり世界中から大きな注目を浴びる存在になった。
2010年にはクエイルホロウ選手権で米ツアー初優勝。そして2011年4月のマスターズでは首位を独走し、そのまま圧勝する勢いで最終日を迎えた。
「すごいぜ、ローリー!」
世界のゴルフファンが興奮を覚えた矢先、マキロイはバック9で大きく崩れ、80を叩いて15位に終わった。
生まれて初めて大きな挫折感と屈辱感を覚え、情けなさと不甲斐なさでいっぱいになったマキロイは、その夜、母国でTV観戦していた父親ゲリーに電話をかけたそうだ。
「何かを学びさえすれば、負けは必ず勝ちに変わる。電話をかけてきた息子に、私はそれだけを伝えた」
ゲリーは、そう明かしてくれた。
あらゆるサポートをしたい
マスターズでの傷心の敗北から、わずか2か月後。マキロイは難コースのコングレッショナルで開催された全米オープンを堂々圧勝し、メジャー初制覇を遂げた。彼が見事に立ち直った背景には、マスターズで大敗した日の夜に聞いた父ゲリーのあの一言があった。
「何かを学びさえすれば、負けは勝ちに変わる。そうだ、何か新しいことを見て学ぼう」
そう思ったマキロイは、全米オープン直前にユニセフ大使としてハイチを訪れ、貧困の中でも前向きに必死に生きる子どもたちと初めて直に接した。
「当たり前のようにペットボトルの水が飲めることが幸せだとわかった。ゴルフができる僕は、どれほど幸せか、、、、」
それまでは小生意気な言動が取り沙汰されたこともあったマキロイだったが、ハイチの子どもたちと接したことで、心穏やかに謙虚になったマキロイは「幸せを実感することが試合への最高の準備だ」と悟ったそうだ。
そして臨んだ全米オープンで、マキロイはメジャー初勝利を挙げた。翌2012年は全米プロでも優勝し、メジャー2勝目を挙げた。
マスターズで敗北したショックから立ち直り、早々にメジャー・チャンピオンになった背景には、父親の一言に端を発したハイチ訪問があり、社会貢献の精神に目覚めたマキロイは2012年の暮れに自身の財団を創設。
「僕は貧困や飢えに苦しんでいる世界中の子供たちに、ビッグなサポートからスモール・サポートまで、あらゆる形のサポートをしていきたい」
それが、マキロイのチャリティ活動の始まりだった。
大きな社会のためにプレーする
その後も米ツアーや世界の舞台で次々に勝利を重ねていったマキロイは、2013年ごろからはテニス界の女王カロライン・ウォズニアッキと交際し、2014年4月に婚約を発表したと思ったら5月には破局して、世界中を驚かせた。
だが、その年の7月に全英オープンを初制覇、8月には全米プロで2度目の勝利を挙げ、メジャー4勝の強者になった。2016年には米ツアー最終戦のツアー選手権を初制覇し、キャリア初の年間王者に輝いた。
それと前後して、PGAオブ・アメリカの職員だったエリカ・ストール嬢とデートを重ね、2017年4月に結婚。
そうやって自身の私生活面が充実し、落ち着き始めたころからマキロイのチャリティ活動は一層活発になり、優しさを増していった。
2016年には母国・北アイルランドで障害を持つ子どもたちの施設を初めて訪問。
「いろいろな子どもたちとの出会いに大いに刺激を受け、大いに勇気をもらった」
以後、マキロイは、この施設へのチャリティを大勢の人々に呼びかける「チャリティ・マラソン」を継続的に行なうなど、社会貢献活動に余念がない。
そして今年は、コロナ禍で米ツアーが休止されていた5月に、米ツアー仲間のダスティン・ジョンソン、リッキー・ファウラー、マシュー・ウルフと手を取り合い、契約先のテーラーメイドの協力を得て、チャリティ・トーナメントをいち早く開催。総額550万ドル超(約5億6600万円)を集め、医療従事者たちへ寄付した。
「僕らは、自分のためではなく、もっと大きな社会のためにプレーすることができた。こうして社会に貢献できたことを誇りに思う。
8月31日には長女ポピー・ケネディちゃんが誕生。パパになったマキロイの視線はこれまで以上に優しくなった。だからこそ、彼はこれからますます何かに苦しむ世界中の子どもたちに救いの手を差し伸べ、社会貢献に尽力していくのではないだろうか。