「僕の両親はブルーカラー出身で、毎日、長時間労働で、身を粉にして働いて働いて、僕ら兄弟3人を育ててくれた。貧しい生活だったけど、僕にゴルフをさせてくれた」
これは2014年の秋、米ツアーのシーズンエンドのプレーオフ・シリーズでビリー・ホーシェルという選手が会見で語った言葉だ。前年にチューリッヒ・クラシックを制し、米ツアー初優勝を挙げたものの、それ以外に目立った成績や活躍は無く、それゆえ米メディアから生い立ちを尋ねられることも無かったホーシェルだが、あの年のプレーオフ・シリーズではドイツ銀行選手権で2位になると、続くBMW選手権では勝利を挙げ、フェデックスカップランク1位に躍り出て最終戦のツアー選手権を迎えようとしていた。
しかも、その途上には、さまざまなドタバタ劇があったため、あのころの米国のゴルフファンの視線はホーシェルに釘付けになっていた。ドタバタ劇の一部を明かせば、こんな具合だった。
ドイツ銀行選手権の72ホール目では、サドンデス・プレーオフに持ち込めるかどうかの大事なセカンドショットをグリーン手前の深い茂みの中に入れ、あえなく勝利を逃した。SNSでは「肝心の場面でチョークしてダフった」「チキン(臆病者)だ」などと、中傷が出回った。しかし、ホーシェルは「言いたいやつには言わせておけばいい。僕のゴルフには何の影響もない。むしろ僕の心を燃え上がらせてくれる」と言い放ち、中傷の嵐を煽った。
その翌週。BMW選手権の最終日の優勝争いの真っ只中で、72ホール目のティショットを打ち終わった直後、すごい形相でトイレへ猛ダッシュする姿がTVカメラに捉えられ、SNSの格好の餌食になった。しかし「トイレに行って何が悪い?大事な優勝争いなんだ。行きたいものは行く」と言いたげに我が道を貫いたホーシェルは堂々の優勝を飾った。
「僕は今、とんでもなく好調だ。もしも僕がギャンブラーだったら、迷うことなく今の僕に大金を賭ける」
自信過剰とも受け取れたこの発言は、SNS上のホーシェル批判への「火に油」となったことは言うまでもない。だが、彼は最終戦のツアー選手権でも勝利を挙げ、プレーオフ・シリーズで「2位、優勝、優勝」という驚異的な成績を挙げ、年間総合優勝にも輝いて10ミリオン(約10億円)のビッグボーナスを手に入れた。
そんなホーシェルが優勝会見で初めて明かしたのが冒頭の身の上話だった。
「貧しい生活だったけど」
「僕はフロリダ州のグラントという小さな街で生まれ育った。僕の両親はブルーカラー出身だった。毎日、長時間労働で、身を粉にして働いて働いて、僕ら兄弟3人を育ててくれた。貧しい生活だったけど、僕にゴルフをさせてくれた。
両親はどちらも大学へ進むことができずに働き始めた。だから両親はいつも教育の重要性を強調し、僕は地元のフロリダ大学へ進学することを夢見ながら育った」
近所のムニシパル(公営)のゴルフ場は格安のプレーフィーで回ることができた。そこで腕を磨いたホーシェルは、ジュニア時代、AJGA(全米ジュニアゴルフ協会)の試合にほんの数回だけ挑んだことがあったが、転戦費用やエントリーフィーが払えないため、他のジュニアたちのようにフル参戦することは叶わず、そのため名門大学ゴルフ部からのリクルートの対象にはならなかったそうだ。
だが、フロリダ大学のゴルフ部コーチだったバディ・アレクサンダーだけはホーシェルの才能に気付き、彼を奨学金で受け入れた。
「そのおかげで僕はホーシェル家で初めての大学進学者になり、両親は僕を誇りに思うと言ってくれた。コーチが僕の人生を変えてくれたんだ。あのとき僕は、人生が感謝の連続の上で成り立っていることを知り、いつかプロになれたら、すべての感謝に恩返しをしたいと思った」
2007年には米欧対抗戦「ライダーカップ」の大学生バージョンと言える「ウォーカーカップ」の米国チームメンバーに選ばれ、生まれて初めて「アメリカ合衆国」の重みを感じながら試合に挑んだ。そのときのチームメイトは、リッキー・ファウラーやダスティン・ジョンソン、ウエブ・シンプソンといった強豪選手たち。対抗した英国チームにはローリー・マキロイもいた。
大学ゴルフ部で貴重な経験を積み、2009年にプロ転向。すぐに手首や腰を痛め、Qスクール(予選会)を3度も受けて米ツアーと下部ツアーを往復したが、2013年のチューリッヒ・クラシック初優勝が転機になった。
「僕は勝てるんだ。そう実感できたら、自信が倍増した」
精神面が強くなったホーシェルの成績は翌年から急上昇した。それでもドイツ銀行選手権ではビッグ大会の優勝争いの大詰めで大きなミスをおかして敗北したが、その失敗が彼を別人のように強靭なプレーヤーに成長させ、翌週からBMW選手権とツアー選手権を2週連続で制覇して年間王者に輝いた。
「コーチや両親、日ごろから支えてくれているキャディやチームの面々。みんなに感謝し、期待に応えたい、喜ばせたいという想いが込み上げたら不思議な力が沸いてきた」
感謝と恩返し
ゴルファーとして、人間として、「生きるときのキーワードは感謝」「生きる目的は恩返し」だとホーシェルは言い切る。
「僕がフロリダ大学のコーチと出会えたのは、わずか数試合だったけどAJGAの大会に出られたからだった。妻のブリタニーと出会ったのもAJGAの大会だった。フロリダ大学時代、ウォーカップに出た経験はいろいろな場面で役に立った。ジュニアゴルファーが実戦経験を積む場と機会を創出することは、そういうものをもらってきた僕がやるべき恩返しだ」
ホーシェルはAJGAの大会を個人的にスポンサードしたいと申し出て、フロリダ州内で開催されていた大会は「ビリー・ホーシェル・ジュニア・チャンピオンシップ」と名付けられた。
幼少時代、貧しい生活を送った彼は地域支援にも積極的。貧困家庭や子どもたちをサポートするフロリダの支援団体に毎年、多額の寄付をしている。「アメリカを守ってくれている人々への感謝は言い尽くせない」と、軍隊への寄付も欠かさず行なっている。
大学に進学できなかったホーシェルの母親は、近年、大学へ通い、学士号を取得した。
ホーシェル自身は2017年、2018年にも勝利を重ね、現在、米ツアー通算5勝の強者として輝いている。
「今、僕の財団を設立しようと動いている。素晴らしい社会があるからこそ、僕はプロゴルファーとして生きることができている。母があとから大学教育を受けられた社会にも感謝でいっぱいだ。感謝したら恩返し。僕はそういう僕でありたい。それは、ブルーカラー出身の両親が教えてくれたことだ」
そう語ったホーシェルは、米国の「労働者の星」「ブルーカラーのヒーロー」だ。