ここ数年、ケビン・ナの名前をしばしば耳にするようになった。それは、ナがここ3年、毎年1勝を挙げる活躍を見せているからではあるのだが、米メディアが彼を大きく取り上げている最大の理由は、ナの優しさや社会に尽くそうという姿勢が人々の心を打ち、「ナ人気」が静かに高まりつつあるからだ。
ナイスガイ
韓国で生まれ、8歳のときに家族で米国へ移住したナは現在36歳の米国人選手だ。
19年前、ナは高校卒業を待たずして17歳でプロ転向。当時の米ゴルフ界には、高校在学中にプロになった前例はほとんど無かったため、その意味でナは大きな注目を集めた。
Qスクール(予選会)を経て、米ツアーにデビューしたのは2004年のこと。しかし、なかなか勝利を挙げることができず、不遇の日々を送り続けた。不調だったわけではなく、何度も優勝争いに迫った。だが、そのたびに惜敗し、詰めが甘いと批判もされた。
プロ転向から10年が経過した2011年の秋、ラスベガスで開催されたシュライナーズ・ホスピタルズ・オープンで、ようやく初優勝を挙げた。しかし、その後は再び勝てない日々に逆戻り。そんな中、奇妙なワッグルをする悪癖が付き、そのせいでスロープレーヤーのレッテルも貼られた。ギャラリーから野次られ、米メディアから酷評され、勝利の女神からは見放され、報われないことばかり。
だが、それでもナは常に笑顔をたたえていた。奇妙なワッグルの悪癖も短期間で自力で解消し、周囲を驚かせた。プレーのペースを早める努力も必死に続けていた。そんな彼の姿を間近で眺めているうちに、米ツアー選手たちは、いつしかナをスロープレーヤーと呼ばなくなっていった。
2014年のメモリアル・トーナメントで松山英樹とのプレーオフに敗れた直後、悔しさを押し殺しながら日本メディアの私に「おめでとう」と声をかけてきたナの姿は、今でも鮮明に思い出される。
勝利を逃してもグッドルーザー。どんなときもナイスガイ。そんなナは、米国のゴルフファンから徐々に支持を得始めていった。
大観衆の拍手や声援が力になったのだろう。2018年にミリタリー・トリビュート・アット・ザ・グリーンブライヤーで米ツアー2勝目を挙げ、2019年にチャールズ・シュワッブ・チャレンジを制して3勝目を達成。
そして2020年シーズンの開幕シリーズとして開催された2019年10月のシュライナーズ・ホスピタルズ・フォー・チルドレン・オープンに臨んだナは、開幕前の練習日、練習グリーン脇で1人の少年と語り合っていた。
「夢を叶えてほしい」
同大会の開催地はラスベガス。長年、この地に住むナは、ラスベガスを「ホーム(故郷)」と呼び、日ごろから地元社会に献身的に尽くしている。
ラスベガスに本拠を置く小児病院が冠スポンサーを務める同大会で米ツアー初優勝を挙げたナは、以後、重い病気やケガと向き合う子供たちを率先して励ましてきた。
そして2020年大会では、練習グリーン際で車椅子に座る少年と語り合うナの姿があった。骨形成不全症という難病と闘っている17歳のアレックくん。彼がスポーツ・リポーターになることを目指していると知ったナは、アレックくんに夢を体感してもらおうと工夫を凝らしていた。
「アレック、キミにプレゼントを持ってきたよ。これは、僕がパットを沈めたときの動き、名付けて”ザ・ウォーク・イット・イン”をデザインしたTシャツなんだ」
パットを打った途端にカップ方向へ歩み出し、カップインとほぼ同時ぐらいのタイミングですぐさまボールを拾い上げる近年のナのユニークな動きは、プレーのペースを少しでも早めるためにナ自身が考案し、実践しているもの。いつぞやタイガー・ウッズも苦笑しながら真似していたほどで、すでに選手やファンに知れ渡っている。
ナは、“ザ・ウォーク・イット・イン”と名付けた自分の動作をアレックくんに動画で見せた後、目の前でも実際に披露した。そうやって選手の動きを観察し、リポートする体験をアレックくんに味わってもらっていたのだ。
アレックくんが「2011年チャンピオン、ケビン・ナに聞いてみます。この地、この大会に対する想いを話してください」とリポーター調で問いかけると、ナは真剣な表情、真剣な口調で「僕はこのラスベガスが大好きです」と答えていた。
こうしたナの演出のおかげで、アレックくんはリポーターとして選手にインタビューする緊張感や臨場感を感じ、頑張ろうという想いを強めたのではないだろうか。
「夢を叶えてほしい。きっと叶うよ」
そう言ってアレックくんを励ましながら右手を差し出したナの姿が、とても素敵だった。
「感謝の意を込めて」
ナとアレックくんのやり取りを米メディア、とりわけラスベガスの地元メディアは大きく報じた。そのおかげで、同大会でナに向けられた拍手や歓声はひときわ大きくなり、大観衆の後押しのおかげで、ナはパトリック・カントレーとのサドンデス・プレーオフを2ホール目で制し、米ツアー4勝目を挙げた。
「これまで僕はプレーオフで3度負けた。今回、プレーオフで初めて勝った」
感極まり、言葉を詰まらせたナ。溢れ出した涙の背後には、長い間、噛み締め、抱え込んでいた悔しさや情けなさがあったのだろう。
きっとアレックくんは、うれし涙で頬を濡らすナの様子をテレビ画面で眺めながら、うれしそうにリポートの練習をしていたのではないだろうか。
それから1か月半ほどが経過した11月のサンクスギビング・ホリデーの際、ナは地元ラスベガスのシュライナーズ・ホスピタルへ「たくさんの感謝の意を込めて」5万ドルを寄付した。
「僕はアレックくんからインスピレーションをもらった。そのおかげで、今も好調を維持できている。すべてはアレックくんのおかげであり、シュライナーズ・ホスピタルのおかげであり、大会のおかげである」
社会や人々に優しく手を差し延べるのは、「勝ったから」「勝てたから」ではなく、「勝ち負けに関わらず、日ごろから」。
そんなナの姿勢を勝利の女神が見初め、アレックくんを通して、ナにご褒美をもたらした。そしてナは、アレックくんからもらった勇気や希望が何よりもうれしくて、感謝せずにはいられなくて、優勝賞金の中から寄付をした。
ナの素敵なストーリーは、その後も語り継がれ、じわじわと広まり、だからこそ、彼の人気は静かに高まりつつある。